塩井保彦先生 株式会社 廣貫堂 代表取締役 テーマ: 「創業130年老舗企業のイノベーション」 1.マーケティング 2.薬業からみた富山の産業創生の歴史 3.廣貫堂のイノベーション 昭和29年8月生まれ 昭和53年3月 中央大学法学部 卒業 昭和53年4月 大塚製薬株式会社 入社 昭和56年1月 本店営業部 ポカリスエット新発売に当り、市場導入、プロジェクトチームに参加 昭和57年1月 大阪本部 資材部 カロリーメイトの生産から資材まで 昭和60年3月 株式会社廣貫堂 入社 平成9年9月 常務取締役 平成12年6月 取締役副社長 平成13年6月 代表取締役社長 平成14年6月 代表取締役 最高経営責任者 現在に至る。 |
竹中勝信先生 高山赤十字病院脳神経外科部長 テーマ: 生物の多様性の中に、人間の多様性があります。医師として多様性の重要性を感じています。その多様性の重要性について、遺伝子の話や、色々なスタッフにより職業が遂行できていることなどを題材にお話します。 昭和54年3月 岐阜大学医学部卒 平成3年 米国バージニア州立大学脳神経外科留学 平成6年 岐阜大学医学部大学院医学研究科修了 医学博士 平成6年 日本脳神経外科専門医第3897号 平成9年 岐阜大学医学部付属病院講師 平成14年 日本人類遺伝学会 臨床遺伝専門医第431号 平成15年 高山赤十字病院 回復期リハビリ病棟統括専従医 平成17年 日本赤十字社救護員 平成18年4月 京都大学非常勤講師、岐阜大学臨床助教授 |
竹内操先生 書家、温故書道会代表 テーマ: 「書との出会い」 私はいつも紙(神)に向かう時文字は仮りものとして、空間の中であらゆる爽雑物を取り去り、心のリズムを点と線に乗せて自然の摂理に導かれた動きを、そのままに表現出来たらと願っています。母親の愛を感じるようなものを・・・・・。 兵庫県西宮市出身 1963年温故書道会会長 酒井葩雪師に師事。現在に至る 1987年 青森県弘前 個展; 1990・91年 神戸 個展 1993年 芦屋 個展; 1996年 東京・神戸・奈良 個展 1998年〜現在まで 神戸・京都・九州など全国で個展やグループ展 |
内田勝先生 岐阜大学地域科学部准教授(英文学) テーマ: 「原民喜訳『ガリバー旅行記』を読む」 『夏の花』(1947)などの原爆文学で知られる作家の原民喜(1905−51)は、その最晩年にジョナサン・スウィフト(1667−1745)の諷刺小説『ガリバー旅行記』(1726)を子供向けに抄訳しています。この小説の中で、高度な文明を持つ馬の国を訪れたガリバーは、人間そっくりの醜く卑しい動物ヤーフに出会い、人間そのものをヤーフと見なして軽蔑するようになります。彼は自分の主人となった馬に向って人間の愚かしさを述べ立て、話題が戦争に至るとこう語ります。「[意見の違いから生じる]馬鹿馬鹿しい争いから、何百万という人間が殺されるのです。しかも、この意見の違いから起る戦争ほど気狂じみてむごたらしいものはありません。」この講義では原民喜の抄訳をきっかけにして、さらに深くスウィフトの原作の世界に分け入り、原民喜があえて訳さなかった部分も含めて、原作者スウィフトの戦争観・人間観を探ってみたいと思います。 三重県出身 1985年 東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業 1988年 東京外国語大学外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修了 1988年 岐阜大学教養部助手 2002年 岐阜大学地域科学部助教授 主要研究テーマ:18世紀イギリスの小説、特にローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』に関する研究 |
西館有沙先生 富山大学人間発達科学部講師・社会福祉士・保育士 テーマ: 「人の心のバリアフリー」 北海道小樽市周辺出身 修士(教育学)、修士(ヒューマンケア科学)、博士(学術)修了 専門:福祉心理学、福祉社会学、バリアフリー論 最近の研究テーマ:交通バリアフリー教育・交通サバイバル教育 幼児期における性教育、障害者用駐車スペース |
右田千代先生 NHK報道局報道番組センター チーフディレクター テーマ: <戦争と人間〜「21世紀の戦争」の現場から〜> 1965年 東京都生まれ 1988年 NHK入局(報道部配属) 1989年 衛星放送実施本部(ハイビジョン)へ異動 1991年 報道局へ異動 1993年 広島放送局へ異動 1997年 報道局へ異動 1998年 アメリカのシンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)へ派遣 1999年 帰国後、報道局勤務 現在に至る NHKに入局して以来、ニュースやドキュメンタリー番組の企画・制作に携わっています。入局直後の東京在局中は、第二次世界大戦の東京大空襲に関する企画や内戦中だったサラエボの人々に関するドキュメンタリー番組を制作。また当時まだ実験放送の段階だったハイビジョン制作部門にも配属されたため、池田満寿夫氏など芸術家に関するドキュメンタリー制作にも取り組みました。1993年に広島局に異動、「終戦・被爆50年」という歴史的な節目を広島で迎えました。この地での被爆者の方々への取材体験をきっかけとして、核兵器や放射線の人間への影響・核兵器や戦争が人類にもたらすもの等を自分自身のテーマとして取り組んでいくことになりました。広島局在局中の4年間に、被爆者の方や核兵器に関連した番組を企画制作、アメリカの核開発研究所の最前線や内戦直後のサラエボなどを取材しました。1997年に東京の報道局に再び異動、クローズアップ現代やNHKスペシャル等の企画制作を携わりました。1998年から1999年かけては、「戦争と人間」というテーマや国際安全保障について専門的に学ぶために海外派遣を志望、アメリカのシンクタンクである「戦略国際問題研究所(CSIS)」に研究員として派遣されました。当時、世界を巻き込む国際問題となっていたコソボ紛争についても学び、帰国後ただちにコソボ難民やコソボ問題をテーマにした番組を企画制作しました。その後も広島での取材体験を原点とし「戦争と人間」「核兵器・放射線と人間」を自身のテーマとして、日本で起きた臨界事故による被爆治療や、米同時多発テロ・日本の自衛隊の最前線を取材したドキュメンタリーなどを企画制作、現在に至っています。 |
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